テナントと工事

 詳細は端折りますが、店を開くのは京都にしたのです。

テナント候補が4つありました、結局資金が少ないので「居抜きに近い駆体」「住宅付き店舗」を借りる事にしましたが、最後まで悩んだ物件候補がありました。

注意点として開業する場所を決めると、その後レイアウト変更は効きませんから大きな決断となります。

ここでは比較内容を提示し、決めた方の物件で良いとこ・悪いとこを記載します↓

 

・物件1 「居抜きに近い」「工事費安くなる」「住宅付き店舗」「駅徒歩16分」「50年前の商業中心地」

・物件2 「コンクリ床のハツリ作業必要」「工事費高くなる」「店舗のみ」「駅徒歩1分」「住宅中心に大学・商店」

以上の点を踏まえ、私は「工事費安くなる」「住まいの不安解消」という理由で「物件1」を選びました。

良いとこ・悪いとこについて記載します↓

・物件1良いとこ=「外観がユニークで小綺麗」「下町情緒溢れる場所」「学生多い」「家賃良心的」

・物件1悪いとこ=「店舗前歩道が狭い」「駐車場無し」「厨房レイアウト悪い」「駅遠い」

結果として、「店舗前歩道が狭い」「厨房レイアウト悪い」が脅威となりました。

北海道でも似た問題はありましたが、お客さんが沢山来るということは周辺に影響がでやすいです。

北海道なら店舗管理以外の場所に駐車してクレームとか、京都なら近隣家屋・店舗前に駐輪や待ち列ができてクレームという理由です。

厨房・席のレイアウトが悪いと、スタッフが余計多く必要になってくる場合があります。

それら2つの悪い点が際立っていて「駅遠い」は問題ならない程でした。

また頑張って集めた700万円ですが、満足いく店舗づくりには程遠く、26席程度の店でも運転資金200万残したとして1000万円は必要と感じました。

実際、運転資金はほとんど残りませんでした。

店舗取得・材料仕入れ・機材什器購入・工事・その他で700万円は無くなりました。

○この時点での失敗○

・ここでも大きな転換点があった

・工事費は見積もりより高くなる

孤独と自由

 北海道から遠く離れた開業地に着て感じたのは、見知らぬ土地での一人開拓は孤独感が凄い(笑)という事でした。

この様な感覚は過去何度も味わっているつもりでしたが、500万借入をした事でいっそう不安を掻き立てられるのでした。

当たり前ですが、全ての決断を自分一人で決めてやるのです。

悩んだ時は保留して親父や兄弟子に相談しますが、ここでやるのは自分だという事を、念頭に置いて決めて行きました。

また、この間修行先の親父が北海道から様子を見に来てくれました。

店のPOPなどに揮毫してくれたり心強かったですね。

 

工事中も自分で出来ることはやっていきます。

店舗部分中心に進めていき、住居部分は後回しにですから、工事中のテナントで寝る感じです。

銭湯もある地域なので風呂とかの不便はないですが、一人で対処する量が大きいと一心不乱でやってても、ふと冷静になる瞬間があって「俺大丈夫か?」とか考え始めると「孤独と自由」が頭の中でぐるぐるしてくるのです。

期日を設けたのは「保健所の立会い」「工事終了日」「開店」3項目です。

これは今見ると「ほんと駄目だな」と感じてなりません。

昨今のお店はローンチ(立ち上げ・開店)までにマーケティングしているのです。

SNS使って店のイメージをペルソナへ魅せてたり、店作り風景交えて物語を魅せているのです。

でも仕方なかった、私は無知だったのですから。

○この時点での失敗○

・店を作る前から競争は始まっていた

・「ざっくばらん」と「考えが足りない」は違う

栄枯衰退

 そのような艱難辛苦を経て、開店する事が出来ました。

プレオープンはしませんでした。

因みに修行時代やっていたマーケティング手法は「地域新聞」「地元ラジオ局」というメディアミックス的なものと、「自分を広告塔に」=「ラーメン屋の変なおやじになる」をしてました。

札幌市内の人口密集地は別かもしれませんが、人口密度が低い地域でポスティングの発想はありませんでした。

新聞掲載か、フリーペーパーに掲載の発想しかなく、いずれも新聞に乗っかって購読者の世帯へいくのです。

 

「ラーメン屋の変なおやじ」=「自身が広告塔」は修行先のおやじがそうでしたから、自然とそれを受け入れていました。

また、「その地域で長く親しまれた味」=「風土とマッチした味」は別として、他地域の味やニューウェーブラーメンにとっては、根付きにくい可能性が高く「特徴的な事」を私自身が欲してたのでした。

結果として、この地域で北海道での手法は通用しませんでした。

・地域新聞=新聞購読世帯が多くない。学生・若年社会人層など

・地元ラジオ局=田舎はボランティアに近い感覚でみんなが参加していたが、都会では違う。結果、支払う報酬額が桁違いに高い。

「自身が広告塔」だけはどこでも反応はありました(笑)​

 開店してから修行時代の様にはいきませんでしたが、徐々に売上も上がっていき2店舗目を出すまで概ね順調でした。

違いは様々な点で現れていて、集客・求人北海道の田舎と比較して大きな違いは2つあった様に感じられました。

「田舎の方が口コミが速かった気がする」「都市部の求人は色々難しい」です。

 

さて、ここから更に端折ります。

結果も記載します。

この間、様々なドラマがあったという事を是非想像して頂けたらと思います。

■開業2年後に2店舗目を開店します→やりきれなくて店長リタイアです→店舗撤退します

■1店舗目の返済金に2店舗目の借入金返済がのし掛かかります→1店舗目の成功は絶対、でも2店舗目の成功も絶対と痛感します

■原価率低下やこだわり要素を追求したくて製麺機をリースします→リース代を引いても得でしたが、自分の時間を製麺時間に当てるので、どっちが正解か判りません(アルバイトに製麺させると結果人件費マイナス要素が大きかったです)

■化学調味料無使用 通称=無化調のラーメンにはまります→自分の店で出しているラーメンを、特に子供が食べる事に抵抗を覚え始めました。

■無化調ラーメンの開発始めます→店を閉めてお金を払い作り方を習いに行きました(営業機会損失金額と学費合わせて120万くらいでした)

■無茶苦茶悩んだ末、店のラーメンを無化調に一新する事に決めます→他に出店するお金もなく人材もいないという理由も大きいです。

■一気に今迄のお客さん来なくなりました→方向性の違うラーメンだから当然の結果でした。

■考え方は立派でもそれだけでは喰えない事を痛感します→継続して利益を上げてこそ商売なのです。

■新ラーメンに合うお客さんを呼び込もうとするも客数伸び悩み、4ヶ月で元のラーメンに戻します→お金・精神面その他いろいろ限界でした。

○この時点での失敗○

・情熱があればブレてもいい理由にはならない

​・一度の失敗をそれ以上の成功で取り戻そうとすると、真逆に向う事がある

やっと、やめました

 そんな経緯があり、この時点では損益分岐まで売上を戻す事を一番に考えていたのです。

しかし、「現状売上」と「損益分岐」の差は急には縮まりません。

徐々に徐々にという感じ、でも確実に売上は戻って来ているのでした。

3月・4月・5月と徐々に、その間当然赤字で資金留保も無いので、金策をしなければなりません。

銀行融資はこの時点で無理、となれば銀行系列のカードローンに手を付けます。

銀行系列のカードローンにも事業者向けのものがあり、それからはじめます。

事業者向け融資を全て利用したなら、次は個人向け商品です。

銀行系列カードローン個人向け→ノンバンク大手(消費者金融)流石にここまでがわたしの限界で、ここから先の道に進む事は確実な破綻を意味します。

ついに政策金融公庫を含め、借入先は8ヶ所になりました。

 ここで、こんな疑問が浮かぶのです。

「普通こうはならないだろう」

個人の性格にもよりますが、私はこうなってしまったのでハッキリと言っておきます。

・ここでやめるのは勿体無いとは、致命傷になる可能性を示唆します。

・辞めることはいつでも出来るとは、手遅れになる可能性を示唆します。

「なんて事になった・・」そんな考えが思考を支配していて、実際のところ仕事が手に付かないのです。

やれてはいるのですが、人が消費できるリソースはおそらく限られていて、思考し実行するけどどれも中途半端になり良い結果を得られてないのでした。

でも、事実売上は戻して来ているのです。

またもうひと月やってみるか、とズルズルと損切り出来ない自分が居て、周囲も応援するのでした。

取引先や税理士がそうで、これは善意か悪意かは別として「とても危険な応援」なので、相談した相手から応援されたら取り敢えず3日ほど店を臨時休業し、自分と向き合う事を私は勧めます。

そして、私は7月初旬で閉店を決めたのでした。

○この時点での失敗○

・人は自分以外の事に責任を持てない、自分にケジメをつけれるのは自分だけ

​・撤退ラインを過ぎてる事が既に間違い

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©2019 こうして私はラーメン屋を失敗した、