
修行は明けない
「一生修行」という意味では有りません。
「簡単に修行をあがれない」という意味です。
超える壁はたった一つ、修行先の親父や兄弟子達を納得させることです。
言い換えると「それが卒業証書」なのです。
どうしたら、納得してもらえるか考えるまでも無いですが、利益を提供し続ければいいのです。
色んな人が居て、それぞれ考えがあるでしょう。
うちの親父の場合、売上を出してくれる店長の存在が一番なのでした。
この辺りの事情を、兄弟子達はよく知っていて、親父の性格や過去の行動パターンをそっと教えてくれるのです。
ある日1日を終え、「内地での開業準備に入りたい」旨伝えると、「おお、そうか」「また、教えろよ」という返事でした。
「なんか拍子抜けな返事だな」が私の感想でした。
その後も事業計画書を作りながら店長業務をしていくのですが、プレイング&マネージャーですから大変です。
年中無休・10時開店〜22時閉店、その後に事業計画書を作る、寝落ちして朝起きるというの日を過ごしていました。
着実に計画書の紙面を埋めていき、店舗報告のついでに電話で話をしていきました。
本気度を示す良い機会でした。
やがて、親父から「おまえにその店をあげようと思っている」という言葉を受話器越しに聴きます。
○この時点での失敗○
・出口対策の重要さを分かってなかった
修行あけ
結論からいうと、「その店をおまえにあげようと思っている」その後続く「おまえを息子だと思っている」も、引き留めるための方便なのでした。
その後、見え透いた一連の発言を真に受ける事は無かったのですが、「強硬策=破門に繋がる」という図式は想像できたので、店長を6ヶ月続ける事を決めました。
この間に引継ぎ人員を作っていきますが、親父も心配になって来たのかもしれません、本店から古野(仮名)さんをそちらの支援に回すとの連絡が来たのです。
私は、ほとぼりが冷めた頃にやはり内地で店をしたいという気持ちを徐々に伝えていき、遂に「引継ぎ体制終わり次第修行あけ」という事を納得(説得)して貰ったのでした。
兄弟子達から「引き止められなかったら、最終2〜300万で店一式売る話してくるから、そこで店やるのはどうか?」という話を聞きましたが、そっちにはいきませんでした。
なぜか?自分でやりたかったのも有りますが、もう身内内での狡猾なやり取りから身を離したいというのが大きな理由でした。
○この時点での失敗○
・実は大きな分岐点がここだった
・本州での開業に大きな廻り道をしても良かったのでは無いかと今更考える
開業計画の実際
ここで、実際の開業計画について振り返ってみます。
私が持っているお金は200万、これで足りないので融資が必要になってくる。
一番に考えたのは政策金融公庫、幸い窓口が近くにあったので聞いてみると、開業地最寄りの政策金融公庫で申し込みと審査を行うとの事でした。
以前、何も知らなかった時メガバンクの窓口に融資可能か聞きに行った事は恥ずかしいので内緒です(笑)
通常、銀行単体で融資(プロパー融資)を行う事は無いと思って下さい。
その場合は保証協会との連携になりますから、話をつけるところが2つに増えます。
以上の観点から、最初の融資は政策金融公庫が良いと私は思います。
また、政策金融公庫の融資額=頭金の最大10倍の実際にも触れておくと、いいところ2.5倍です。
業種や諸条件によりますが、経験年数・頭金を考慮するとそのくらいでは無いか?という回答を頂いたのでした。
つまり、手持ち200万と融資実行額500万、計700万で開業という事です。
特殊なケースとして、私の様な遠隔地での計画書の作成は困難が増えます。
計画書には具体性が求められ、架空の開業条件では通らないのです。
この時点で決まっていなければならない項目に、「テナント申込」「工事業者の見積もり」「納入業者」が挙げられます。
つまり、「これから融資受けます」と言ってる人が現地(後述しますが私の場合、北海道の田舎→京都)の各業者に連絡を取り付け、信頼してもらい証明書に繋がる「申込書のコピー」「見積書」等書類の発行をしてもらわなければなりません。
正確には事業計画書の完成時(最終的には提出時)ですが、勿論提出前にこれで良いか相談しに行くのです(通るかは別問題ですが)
事業計画書提出の肝は、言動が思いつきで継続的に考えて行動出来ない人=壁を乗り越えられない、つまり脱落するという事です。
逆説的に云うと、戦略的に無謀でも比較的少額でリスクが少ないと判断され、必要事項を埋めてしまうと、融資が通ってしまう可能性も有ります。
私の場合はこれだったと思ってます。
皮肉な話ですが、やる気・元気・根気が揃った「戦略下手な人」だったという事です。
○この時点での失敗○
・事業計画書が通ったから成功するわけじゃ無い
・困難を乗り越えられる無能も問題だと、今は思う